【考察】「ライ麦畑でつかまえて」ホールデン・コールフィールドがたどる精神について

 

 

こんにちは、石ちゃんです。

 

今回はJ・Dサリンジャー作「ライ麦畑でつかまえて」の
主人公ホールデン・コールフィールドのいく先について、考えてみます。

 

ではどうぞ。

 

 

 

 

あらすじ

 

クリスマスが迫っている12月、主人公のホールデン・コールフィールドは勉強のしなさすぎで高校を退学になってしまいます。
家に帰るまで時間があった彼はニューヨークで静養しようと思いつきますが、そこで散々な目に出くわします。

 

その時の体験を彼は我々に話してくれる。ーと言った内容のお話です。

 

 

“ライ麦畑でつかまえて”を読んで

インチキ

 

ホールデンの口癖でもある「インチキ」。

 

「ライ麦」の中で繰り広げられるホールデンのニューヨークでの悪夢の中で何度もそのワードは出現します。

 

「ライ麦」学校を退学になった主人公ホールデン・コールフィールドがニューヨークで起こった様々な出来事のお話です。
ホールデンは入院しており(多分精神科でしょう)兄にしたそのニューヨークの話を私たちに語ります。

 

その彼の話の中で、許せない対象を彼は「インチキ」と評します。

 

 

自意識としての彼

 

この作品はたびたび「青春小説」としてカテゴライズされています。

 

自意識過剰な青年の純粋さのお話

 

ざっと括るとこんなキャッチコピーです。

 

確かに

  • 「許せない」相手と「インチキな構図」
  • 大人の「無自覚さ」どうすればいいかわからない「自分」

という一種の典型的な形式をとっています。

 

この自意識過剰さの描写は読者の心を掴んだのは確かです。

 

 

しかし

 

しかし、この小説は「青春小説」なのかといわれると全然しっくりこない。

 

その括り方は自意識を克服すれば終わる問題だし、
ホールデン自身ただの「自意識過剰な若者」と分類するのはあまりに安易です。

 

 

大人の階段

 

大人になり、心が広くなり、「インチキ」を許せる彼の物語・・・。
というのが彼の後々のストーリーをだと予想すると非常にイヤな感じがするのは私だけではないでしょう。

 

そういう方向ではない。

 

もっと切実な問題があると思います。

 

 

墜落?

 

では彼が向かうのは破滅なのか?といわれるとそれも全然違うでしょう。

 

寛容な大人になるのも、破滅して墜落するのでもない。

 

そもそもこの2極化で話をまとめようとするのはかなり無理があります。

 

しかし、ライ麦にはそこの「ホールデンが感じている本質」にはほぼ触れられることはなく終わってしまいます。

 

 

社会、他者との構図

 

ホールデンが苦しんだものの中に、社会的な軋轢があったのは確かです。

 

彼はどこにも所属できず、結局精神科病棟に行き着きそこで思い出話をするという結末です。

 

では
彼が感じていた「軋轢」とは一体何なのか?
彼の根本には何があったのでしょうか?

 

 

テディ

 

そのホールデンの思惟を象徴しているのが、
サリンジャーの「ナインストーリーズ」に収録されている「テディ」という作品だと私は思っています。

 

天才少年「テディ」の独白というこの作品ですが、
彼はそこでこのような趣旨のことを話します。

 

「教育では自分が誰かを考えるべきだ」

 

この「自分が誰か?」を考えるスタンスこそ、
ホールデンが抱えていたテーマの支柱であると私は思います。

 

 

考える、という立ち位置

 

「自分は誰か?」という疑問はライ麦ではほぼ出現しないテーゼですが、
ホールデンは「考える」ということはできかかっている。

 

「インチキ」な人間の無自覚さを一蹴する様、しかし自分の不安定さを掴めなさへの苛立ち。

 

これらをどういう事かと整理し克服する為にテディが言っていた
「自分のこと」を「考える」ことこそ絶大な力を発揮します。

 

この考える事をしつつあるホールデンの姿勢そのものこそが、周りとの乖離を生み、行く場のない自分自身をも苦しめてしまった。

 

私はそう思えてならないのです。

 

 

行く末

 

ホールデンは寛容な大人になる日は訪れないかもしれません。
だからと言って堕落もしないと思います。

 

そうではなく、彼には誰の真似でもないやり方で「自分」になっていくはずです。
その為には考え続けるという選択肢を取るのではないか・・・。

 

私は彼の行く末がそんなものであるような気がしてなりません。

 

 

前例

 

ホールデン君は考える事をする手前ですが、
このような考えるスタンスで周りからとばっちりを受けた人物は結構います。

 

神と自己の存在に苦悩した「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャ、
自己の存在そのものに観念を導出させた「死霊」の三輪与志

 

神と隣人愛を唱えたあまり貼り付けにされたキリスト、
対話式で真実を唱えて毒杯を飲まされたソクラテスなど

 

考え続けた結果、社会的にあぶれた人というのは結構いるものです。

 

 

 

総評

 

ライ麦はただの青春ものではなく、ホールデンの話す「反社会的」な匂いが隠された「方法序説」とも言える作品です。

 

また、ホールデンの鋭い感覚が鏤められているかなり質の高い社会への「インチキ暴露本」です。
これは自意識過剰な若者の話では無く、考えることができる青年の誠実な話です。

 

だからこそ世代を越えて読み継がれているのではないでしょうか?

 

 

まとめ

 

ライ麦畑、見事な小説です。
しかし、この作品をどういうものかを掴むのはなかなか難しい。

 

何故なら、ホールデンの「観念」の話なので把握するのがとても漠然としているからです。

 

「ただの自意識ではない」というニオイを若く鋭い読者は嗅ぎ取るのでしょう。
この絶妙な観念性に支えられている傑作。

 

皆さんもご一読あれ!

 

関連記事

こんにちは!石ちゃんです!   今日の記事はズバリ「読書について」です。 自分で言うのもおかしいですが、「読書家」です。はい。   私は割と子供の頃から本は好きでした。 子供の頃「何を好んで読[…]