埴谷雄高著「死霊」の個人的ベストシーンについて語る【カントと埴谷氏】

 

こんにちは!石ちゃんです。

 

今日は私が大好きな「死霊」の感想とレビューです。
その衝撃、面白さ、考えさせられる内容に舌を巻いた体験・・・
語っていきますよー!

 

早速行ってみましょう!

 

 

 

 

「死霊」について

 

埴谷雄高氏が生涯をつうじて執筆した形而上小説「死霊」

 

われわれが存在するとはどういうことなのか?
を徹底的に様々なアプローチで展開、究明していく様は何年経ってもとても斬新です。

 

氏の命を張った形で遺された存在の行方とは?

 

 

はじめて読んだ感想

 

難解」との評判で読むのを躊躇っていた、
というのが正直な読む前の感想です。

 

しかし、
上中下まとめて購入すると、あっという間に読んでしまいました!
おもしろかった!

 

とにかく、
凄いドライブ感と怒涛の観念の展開はこちらの笑いが止まらないほどのエネルギー!

 

こんなに興奮する小説はちょっとありません。

 

 

大きなテーマ

 

この「死霊」の大きなテーマは「存在」についてです。

 

自己存在とはいったいなんなのか?」からはじまり、
生と死、宇宙と自分、食べるもの食べられるもの、自己の意識など
「普遍的なテーゼ」について「小説」という媒体を駆使して展開していきます。

 

 

決して難解ではない!

 

なぜ自分が存在しているのか?」このような問いをお持ちの方なら、必ずとても楽しく読める小説です。
ただ言い回しが伝わりづらいところが多いため「難解」というより「読みづらい」ところはあるかもしれません。

 

わかりにくい内容をわかりにくく書いてある粗悪な啓蒙書などとくらべれば全然比にならないほどおもしろいですよ。

 

 

私が好きなシーン

 

好きなシーンはたくさんあるのですが、
最も好きなのは「默狂」の矢場徹吾の独白です。

 

そのシーンでは弱肉強食で食べられた側が食べた側を糾弾するところからはじまり、
糾弾は人間のキリストと釈迦にまで及びます。

 

その糾弾の後、生死が展開している時空間について、精神意識の存在について話が飛んでいくというものです。

 

ここは読んでいる時のスピードはほんとに堪らなかったです!

 

自分とは「生きている」という肉体律から、
それを構成している食物についての意識、

はなしは飛び飛び精神、「自分という精神」が「存在している!」とこの独白でメンチを切られた時、私は

 

「あギャーーー!」

 

と漫画みたいに目ん玉が飛び出ましたよ!
ビックリびっくり・・・。

 

自己が存在するということ

 

冷静になって読み解いていきます。

 

自己が存在するとはいったいなんなのか?

 

これは物凄くヘビーなテーマです。
なぜヘビーかというと、

 

「存在している自分が存在しているからいくら考えてもつかめない!」

 

というループが発生しているのです。

 

このように「考えることについて考える」といったスタンスは哲学や学問の生起でもあります。

 

最近では化学も発達していますし、「自分とは脳機能である」と主張する人もおられるでしょう。

 

しかしそれはちがう。

 

「自分とは脳だ」といいますが、ここでは述語が「脳」であり主語は「自分」です。
この主語述語に単語を分けると「自分とはなんなのか?」が全く語られていません。

 

要するに自分とはカテゴライズできる何かではなく、自分でしかないのです。

 

では自分としての存在とは?

 

うーーーん全くわからない。

 

 

自同律の不快

 

この埴谷氏の小説でおおきなテーマになっているのが「自同律の不快」です。
ざっくり説明すると、人間は不快を感じると意思が動き、行動や考えが始まる、

 

という「意思の始まり」のことを指します。

 

わたくしこれにはあまり賛成できていないんですよ。
どうもしっくりこない。

 

と、いうのも「不快」というよりも私の場合「愉快」が中心にある気がします。

 

踊りたい、音楽を聴きたい、笑うなどの意思は不快とは少し違う気がするのです。

 

 

そんな「意思の発動」みなさんはどう思いますか?

 

 

 

カントと埴谷氏

 

この本の元ネタになったであろう哲学書がカントの「純粋理性批判」です。

 

宇宙の始まりと終わりはどうなっているのか?
自由と運命の関係など、時間と空間の概念を超えた「純粋な考えの批判」を徹底的に論じてある「考え」の鬼のような哲学書です。

 

カントのこの切り口から埴谷氏は随分ヒントを得たのではないでしょうか?

 

特に意思の発動についての「純粋理性批判」での記述は「自同律の不快」と近いものがあります。

 

 

まとめ

 

「死霊」の読みどころと感想、邪推でしたが分析もさせていただきました。
いかがでしたか?

 

この本を読んだ後に何冊か関連した哲学書も読みましたが、どれも通じるものが非常にたくさんありました。
どんな形態をとろうとも、考えるテーマはおなじなのですね。

 

恐れ入ります。

 

このような、「考えること」が好きな人にとってみたらよだれが出るほどの魅力がある本です。
社会一般での「かんがえる」とは全然違うことかもしれませんが、心の陶酔感を得たい人は是非読んでみるのをおすすめします

 

これは本当に素晴らしい小説だ!

 

関連記事

こんにちは!石ちゃんです!   今日の記事はズバリ「読書について」です。 自分で言うのもおかしいですが、「読書家」です。はい。   私は割と子供の頃から本は好きでした。 子供の頃「何を好んで読[…]